一、川柳の世界に入る
四年生のとき、新聞日本語の授業で日本人が作った現代川柳を紹介してもらった。それは、生まれて始めて川柳に出会った。川柳の歌風は滑稽、皮肉だ。和歌より分かりやすいと思う。しかし、その川柳を詠むと、意味が大体分かるけれど、日本人のユーモアがなかなか分かりにくいと思う。
「クイス虫食い川柳」は先生が配った冬休みの宿題だ。他人が完成した川柳の中から、ポイントのところを穴にして、私たちがその答えを考えるというものだ。その宿題を作るとき、やはり電子辞書が必要だ。ただし、その川柳の裏の意味、面白さが分からなければ、答えられない。例えば、
あの□□が そう言うたかと 嬉しがり
答えは「馬鹿」じゃなくて、「あほ」だ。それは、「言うた」は関西弁からだ。標準語を勉強しかない私にとって、難しいと思う。又、
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①他の人の川柳
ブッシュさん イラク戦争 プッシュする
この川柳は「ブッシュ」と「プッシュ」発音が似ている言葉を使った。私はそれに対して感心した。ただし、その川柳はただ単純的な文字面の技巧を考える気がした。主題も内容も非常に堅くて、川柳の面白さがあまり感じられないと思う。また、その川柳が詠めば詠むほど社説の標題を読んでいるような感じが出てきた。
②自分の川柳
1 予約無し 食事できない バレンタインデー
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去年、田舎に住んでいるお爺さんをインタビューしました。お爺さんは植民地時代の時、日本人として育てました。貧乏で苦しかった生活を過ごしました。でも、インタビューする時、お爺さんは暖かくて懐かしそうな顔で「ああ、懐かしいな」「その時代に戻りたいな」って、こう言い繰り返しました。私は不思議だと思います。先日、「稲草人」という映画を見ると、お爺さんの気持ちがやっと分かりました。
民国70年代、郷土文学のブームになって、民国76年に中影公司は「稲草人」という映画を制作しました。ちなみに、日本に上映した時、「村と爆弾」という名前になりました。その映画は植民地時代末期の台湾農村生活を描きました。主人公陳氏兄弟は小作農民です。農作物の不作で貧乏になりました。聾唖の母親と主人が戦死で発狂する妹とおおぜい子供たちと住んでいます。ある日、陳氏兄弟はアメリカの不発爆弾を拾いました。日本天皇に献上して、賞金をもらいたいために、その爆弾を町へ運びました。でも、日本人警察は爆弾に恐れて、拾った爆弾を海に捨てていけという命令を出しました。その爆弾を海に捨てると、爆発しました。たくさん魚が海面に浮かびました。陳氏兄弟は大喜びで、その魚を持って、家へ帰りました。
出演者は張柏舟、卓勝利、文英、楊貴媚など好演で郷土派の俳優です。監督は王童です。国立芸術専門学校を卒業したあと、絵師、芸術指導、そして、監督になりました。風刺、自省の作法で戦乱、政治不安定の時代に人々の生き方、人性と生活の対立を表すのが上手です。名作は台湾三部作と呼ばれた「稲草人」、「香蕉天堂」、「無言的山丘」などです。脚本は王小棣、宋紘です。王小棣のことを紹介したいと思います。名前も外見も男っぽいだが、テレビドラマ、映画を製作するとき、いつも繊細なタッチで人の心を描きます。彼女はアメリカの大学で映画を学びました。台湾帰国あと、脚本、監督、プロデュースを担当しました。彼女の作品は金鐘獎、金馬獎だけではなく、国際的な映画賞にも注目されました。名作は「稲草人」、「香蕉天堂」、「魔法阿媽」、「大醫院小醫生」などです。その映画は第24回金馬奨で最優秀作品賞、監督賞、脚色賞、録音賞を受賞しました。また、アジア太平洋映画賞で最優秀作品賞、助演男優賞を受賞しました。
植民地時代のことを描く映画は大体悲劇です。でも、その映画は典型的なブラックユーモアになりました。とても珍しいと思います。私はその映画を見るとき、よく大笑いでした。でも、映画が終ると、一つ一つのシーンを思い繰り返して、何となく悲しくなりました。例えば、台湾人は日本人のために南洋へ出征して、死亡しました。徴兵を避けるために、主人公は母親に牛糞を目に塗られて、一時的に失明しました。あとは、主人公の息子は学校の先生に日本の名前を変えられました。主人公は怒りました。でも、名前を変えると、いつも配られた黒砂糖は高級な赤砂糖になれることを分かると、主人公も日本の名前がほしいと考えました。そんなわずかな時間で、その時代の悲劇を全部挙げるのは、実は難しいと思います。でも、彼らはその悲劇に対して、何の反抗もありません。ただ、かかしのように手を開いて、「私と家族に傷つかないでください」って、お願いするだけです。
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一、地理暨歷史
1. 一般的「二分法」:
*東國和西國
*江戶和上方
*東京和大阪
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短篇小說巨擘 - 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ) 1892~1927
日本某雜誌曾對三十歲世代的男女讀者做一項「傑作小說」調查,前三名分別是:夏目漱石的『坊っちゃん』、芥川龍之介的『羅生門』、井伏鱒二的『山椒魚』。讀過後,記憶深刻而且感到很有意思的前三名小說,是中島敦的『李陵山月記』、芥川龍之介的『羅生門』、夏目漱石的『坊っちゃん』。讀過後,感到很無趣的小說 是川端康成的『雪国』、森鷗外的『舞姬』、島崎藤村的『夜明け前』。
一生當中的兩大陰影 - 母親發狂及成為芥川家的養子
1892年(明治25年)3月1日出生於東京市京橋區船町,為家中之長男。因為於辰年辰月辰日辰刻出生,家人希望他能因此而有個一帆風順的未來,故命名為「龍之助」(因辰與龍的發音相同)。不過,他出生時,父母正值「大厄之年」(父43歲,後厄;母33歲,大厄),所以,他的父母便將他交給附近的教會成為「捨子(すてご)」。父親新原敏三,經營牛奶業。母親フク在他出生後不到7個月就突然精神失常。由於父親無法照顧龍之介,故將他交給住在本所區小泉町的舅舅道章幫忙照顧。10歲時母親去世。12歲時,新原敏三想要接龍之助回家,但由於芥川家無子嗣,而且新原敏三已和フク的妹妹生了一個小孩,所以最後,フク的妹妹入籍新原家,而龍之助則正式成為芥川家的養子,並改名為芥川龍之介。母親發狂及成為芥川家的養子這兩件事,成為他心中一輩子都無法揮去的陰影。
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年齢:85歳
関係:姑丈爺(母の伯母さんの夫)
日時:2002年1月27日午後16時30分
場所:姑丈爺の家で(大渓駅の近くに)
内容:
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壹、起源
第一次接觸浮世繪,是在京都旅行時,買了一雙筷子。筷子上的圖樣,是屬於浮世繪中的寫樂。當時,深深地被那炫麗的色彩及誇大的表情所吸引。人物的表現手法誇大、色彩及造型的多變,和之前所認識的慣用原色及構圖素淨的人物繪表現方式大不相同。於是,對於浮世繪,便產生更進一步了解的興趣。
貳、疑問
一、浮世繪在日本歷史、文化上的意義?
由日本歷史看來,日本的美術,無論是佛像、掛軸或屏風,皆受中國影響甚鉅。早期的浮世繪,尚保有中國風格(如:美人畫),但江戶後期,浮世繪便漸漸跳離中國風,走出一條和以往完全不同的路線。這樣的變化,在日本的歷史、文化中,所代表的意義為何?
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